10月


                                   9月の記録

2000年9月全島避難で住み慣れた三宅島を後にし2年1ヶ月がたちました。昨年の春、単身八丈島に移りユリ栽培を再開しています。仕事の様子や身の回りの出来事、風景などを週に1〜2度書いています。
三宅島の火山活動は沈静化に向かっていますが、いまだ大量の火山ガスを出し続けており島民の帰島を阻んでいます。
島には約600人の人が常駐し砂防ダム、道路等の復旧作業は進んでいますが、住民が島を離れたこの2年間で家屋の被害拡大しました。来年度には300人規模の住民用クリーンハウスができ数日の短期滞在型一時帰島が予定されていますが、島を離れた避難生活も3年が限度と言う声も聞かれます。            

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10月31日
10月7日に植え付けた黄色のスカシユリ(品種:モナ)が40cm位に伸び、花芽がみえてきた。まあ順調な生育をしている。最初に植え付けたもので11月下旬出荷用だが、その時期に咲いてくれるかな。私の予想では11月25日頃出荷と思うがはたして当たるか?。この品種を冬用に植えたのは始めてなので予想通り咲くかどうか楽しみ。
10月26日
この数日で葉の萎れが出てきた、病気か整理障害かはっきりせず、農業改良普及センターにサンプルを持ってい行ったところ、病気との診断。早速、背負い動力噴霧器で消毒を行う。病気にしろ、虫にしろ、日焼けにしろ短期間に広がってしまう。ちょっとした油断で何割のものがダメになってしまう。油断大敵、気を抜いてはいけない。
10月19日
畑の農業資材倉庫、プレハブ2階建て床面積50平米。昨年は被害はなかった、前回の一時帰島では屋根の一部が飛んでいた、今回はご覧の通り無残な姿。21号台風での被害だろう。中の資材はもう使えないだろう。帰島が長引けば長引く程個人財産は失われていく。家屋、財産の補修保全のための日帰り一時帰島だが、年間数回、5〜6時間の帰島では財産の保全は難しい。来年度は数日間の短期滞在型一時帰島が予定されているようだが、数日間帰島を年数回行ってもやはり限界はあるだろ。
10月19日
昨日、日帰り一時帰島で三宅に行った。昨年、ユリ「島の光」球根を島外搬出したが、堀り残した球根を今回は持ち帰る目的で娘と娘の彼氏の3人での三宅島帰島。畑はもう竹薮と化し掘り上げた球根も二回りも小さくなっていた。写真の中央の大きい球根は昨年持ち帰ったもので廻りの小さな球根が今回掘り上げたもの。もう一年放置すれば消滅しただろう。切り花出荷用にはあと2年位養成しなければならない。
10月11日
サンダーソニア(提灯型の黄色い花を5〜10数輪付けるユリ科の球根植物)の生産者グループの現地勉強会に参加させてもらった。農業改良普及所、園芸試験地の先生も交え肥培管理について熱心に意見交換をされていた。この数年でグループの方々は自己負担約25%の補助事業でこの写真のような立派な鉄骨温室を作られている。パイプハウスでの営農をしてきた私としては実に羨ましい限りだ。三宅島が避難解除になった時は是非とも鉄骨温室建設の補助事業を導入してもらいたいものだ。
10月6日
八丈島の春を代表する花、フリージアの球根植付けが始まった。農家Yさんは切花用、球根用にハウスと露地でフリージアを栽培している。今の時期忙しく人手が足りないということで私も何日間か手伝うことになった。私はフリージア栽培の経験がないので大いに勉強になっている。
かつては八丈島はフリージア球根生産が大変盛んであったが球根価格の低下と人件費の上昇、それにオランダからの球根輸入増加などで経営的には厳しく球根生産は少なくなってしまった。
写真はパートのおばさんたちが球根を植え付けているところ。
10月1日
台風21号が八丈島の西の海上を通過。940hPs,最大風速40m/sだから直撃だったら大きな被害が出ただろう。午後2時ごろから5時ごろまで暴風雨状態。3時20分には最大瞬間風速47.9m/sを記録。屋根を飛ばされたり家屋の被害も出たようだ。農業被害も出ているだろう。幸い当園のハウスは被害を免れた。
10月1日
先月末にオリエンタル系ユリの植付けが終わり、次のスカシユリ植付けまで時間ができたので東京の家族に合いに上京した。服飾系専門学校に通う長男も来春は卒業予定。将来について夜中までいろいろ話したが、就職せずにやりたい事があるようで、まあ自分でよく考えて決めなさいということになった。
1週間程いる予定だったが21号台風が伊豆諸島に向かってきたので昨日八丈に急遽戻った。