12月

2000年9月全島避難で住み慣れた三宅島を後にし1年3ヶ月がたちました。今年の2月に単身八丈島に移りユリ栽培を再開しています。仕事の様子や身の回りの出来事、風景などを週に1〜2度書いています。9月、10月で島民念願の一時帰島が実施されました。地域、個人の被害の程度は酷かった人、軽微だった人、個々に 違いがあったようです。数時間でも自分の目で島を見、自分の家を見た意味は大変大きかったです。11月、12月と2回にわたり、私も三宅島へ行く機会に恵まれました。実際に自分の目で火山ガスや泥流被害の様子を見て、避難生活はまだまだ続くと実感し、今まで宙ぶらりんだった気持ちが妙に平静さを取り戻しました。やはり自分の肌で三宅島を感じるこは必要だと思います。次は泥流、火山ガスの安全対策をしたうえでの希望島民の夜間滞在を検討してもらいたものです。            
     10月の記録

12月22日
前日に切った花を一晩水揚げし、翌朝荷造りをする。ユリと添え葉をセットしラッピングして、リボンをつけて箱詰めをする。球根の植付けから手塩にかけ育てた花を送り出す仕上げの仕事。苦労の報われる時である。
12月21日
クリスマス、お正月用カサブランカのハウス。蕾も膨らみ、昨日から出荷スタート。ハラハラドキドキの開花調整だったが、ピッタリの大成功、よかった、よかった、これで一安心だ。
12月12日
お歳暮用ユリの出荷も最盛期。夕方に切ったユリの選別、水揚げなど、それに出荷箱を作ったり、翌朝の出荷の準備を夜遅くまでやる。女房も出荷ラベルのプリントアウトなどを夜遅くまでやっている。出荷の時期は毎年朝から夜まで大忙しである。
12月7日
お正月用カサブランカのハウス。暖房の甲斐あって、だいぶ蕾も膨らんできた。12月25日から29日の間に開花ピークを合わせるために、これから加温温度の調整をする。出荷のタイミングが年を越せば赤字決算になってしまう、なんとも綱渡り的商売だ。
12月1日
自営業者の資材持ち出しが認められ、私も娘と二人で三宅島に行き、ユリ「島の光」の球根を堀上げ八丈島へ送った。
これは帰りの三池港の様子。風下のため、火山ガス(二酸化イオウ)で雄山が青白く霞んでみえる。ガスマスクを着けて、船を待つことになった。島民の帰島を阻む恨めしい火山ガスだ。