全島避難が決まり、当園も2000年9月島外避難し、一時営農活動を中断しておりました。2001年2月から園主が単身、八丈島でユリ栽培を再開しています。妻と子供達は都内の住宅に残ります。パートの方も、シルバー人材センターの方も、離れ離れです。三宅島の火山活動が終息し全員で西野園芸を再建できる日を待っています。


(以下は、2000年8月18日噴火被災前の記述です)


東京の会社を辞め、島にくる時思っていたことの一つに、「組織の中で働くより、自分の手で自立して働いてみたい」と。そして島にきて、そのように働いた。
今思うのは、一人で出来る仕事は限られている、いろんな協力者がいて自分は働けるのだと。「仕事って共同作業なんだな」と。

家族妻悦子とは前の会社での社内結婚。漁業、農業にまったく縁のない都会育ち。初めはなかなか要領がつかめず苦労したようですが、今ではレザーファンの採葉、選別、結束作業は私よりずっと早いです。子育て、家事、仕事に感謝しております。長女智香、親戚のお世話になり東京の高校を卒業、今年から美術関係の専門学校で勉強中。長男雅也、三宅高校三年生、来年は東京の服飾関係専門学校をめざす。時々小遣い稼ぎでハウス仕事を手伝ってくれます。次男隆志、三宅中学一年生、自由研究課題で雄山山頂八丁平の観察を始めたところ、山頂陥没で八丁平がなくなってしまいました。

(現在は、妻は都内の福祉施設で働いており、長女、長男はそれぞれの専門学校へ通い、次男は三宅中学校から住まいの近くの中学校へかよっています。)



浅沼さんシルバー人材センターから来て頂いている浅沼さん。元外房の海女さんで、若い頃天草潜りで三宅に来られこちらで結婚し三宅定住。数年前まで現役の海女さんでしたが、今は畑仕事。週に二日、西野園芸を手伝って頂いてます。
鍬を使ったり、草を取ったりでは、私はかないません。


パートさん週に数回パートで手伝って頂いている山田さんと岩崎さん。子供たちはみな同じ小学校で、PTA仲間でもあります。岩崎さんには、十年以上手伝ってもらっており、子供たち3人とも同級生です。ユリの出荷、切り葉の出荷からハウス建て、ビニール張替えまで西野園芸の作業全般何でもOKの頼りになる方々です。