前回昭和58年の噴火は、山腹から海岸まで割れ目状の火口からマグマ噴出、流れ出した溶岩で一集落の大半が埋まりました。昭和15年、37年、58年と約20年周期で噴火を繰り返しています。今回の噴火は、山頂の大規模な陥没、繰り返す水蒸気爆発、長引く地震と過去の噴火とは様相が異なっています。噴火、火砕流、噴石、降灰による被害と、泥流による二次災害の危険、もはや島民が島に留まれる状況には無く9月1日全島避難が決まりました。どのような規模の噴火が起きるのか、いつ終息するのか、先が見えません。道路をはじめ島のインフラの復旧、農林水産業、観光業、商業の今後と多くの課題が残りました。火山活動終了し次第、いろんな方々の協力を頂きながら、島民がそれぞれの場で頑張らねばなりません。
8月29日の様子
8月24日の様子
8月22日の様子
8月18日の様子
藤井さんレポート
9月4日、全島避難最終の船で三宅島を離れる。8月29日以降は、規模は小さいものの噴火を断続的に、繰り返す状態になり、場所によっては火山性のガスで息苦しくなることもあり、生命の危険を感じる数日間であった。あの緑の美しい島が、火山灰に覆われ、山の形も変わってしまい、噴煙を上げ続けている。本当に悲しい別れだ。三宅島に戻れるのはいつなのだろうか?
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8月29日午前4時35分頃、またまた噴火。8月18日の噴火に続く規模の噴火で、噴煙の高さ8000メートル、低温ながら火砕流も発生、神着地区を襲った。火山噴火予知連も火砕流への警戒を呼びかけたことを受け、都、村も全島避難決定へと動いた。
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8月18日午後5時02分再々噴火。一連の噴火の中でも最大で、噴煙の高さは8000メートル(15〜16Kmまで達したという専門家もいる)まで達し、全島に火山灰をふらせ、島東側では噴石も確認された。今回は東〜南東の風で、伊豆、伊ヶ谷、阿古地区に多量の降灰をもたらした。西野園芸も全棟降灰、一部ハウス倒壊という被害をうけた
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8月18日、上空に上がる噴煙とは別に、山頂から黒煙が雪崩のように、向かってきた。呑み込まれてしまうのではという恐怖がよぎった。
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8月10日朝8時ごろ農園からの写真。目の前で見る噴火は凄まじいものだった。この日も南西の風で、前回と同じ島の北東部、東部に降灰をもたらした。泥流で通行止めになっていた都道が2週間ぶりに開通したのにまた通行止め。降灰地域の山、海、人へまたもダメージを与えた。左下に写っているのは、ビニールハウスの屋根。
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7月30日、震度6の地震が発生。幸い大きな人身、家屋の事故はなかった。震度2−3は慣れた。5になると不安を感じる。震度6は家が潰れないかと恐ろしくなった。船外機船を出して島の西海岸を見てきた。伊ヶ谷から阿古の海岸にかけては、そこらじゅうで崖が崩れ緑が剥げ落ちていた。
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7月26日の雨で泥流発生。数箇所の施設と島一週都道が被害を受けた。まだ山麓には多量の火山灰があり今後の泥流災害が心配だ。
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降灰の多い地区の園芸農家ビニールハウス。十数棟の殆どが、降灰とその後の雨の重みで、使用不能までに押し潰された。施設の解体撤去、降灰除去、施設の新設など考えると、農家個人の力では厳しすぎる。
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7月14日、15日噴火。(マグマ)水蒸気爆発で大量の火山灰を噴出。風下の北東部山麓は、みるみる緑から暗灰色に変わった。命からがら避難した人も、、、これからの生活、産業など大変なことになった。