2004年4月

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2000年9月全島避難で住み慣れた三宅島を後にし3年半がたちました。2001年の春、単身八丈島に移りユリ栽培を再開、先月からは家内も八丈に移り夫婦で仕事ができるようになりました。
仕事の様子や身の回りの出来事、風景などを紹介いたします。

先月はカツオ漁の手伝いをしましたが、かなりキツカッタです。ハウスの仕事も増えてきたので、船頭には申し訳なかったですが予定より早く下船。今はサンダーソニアとユリの出荷、お中元用ユリの球根植え付け、農産物共同直売所参加と今までの春よりは結構忙しいです。

平野新村長も早期帰島を公約にし当選され、3月末には「三宅島帰島プログラム準備検討会」報告書
発表されました。今月下旬からは住民説明が行われ、その後に、住民アンケートが実施される予定です。
住民アンケートの結果にもよりますが、いよいよ早期(年内、もしくは来春)帰島に向けて動き出すのかなと
個人的には想像しています。

今年中に帰島時期が示されないようじゃ、もう帰る気も失せてしまいます!!。


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4月29日
裕丸は今回、キワダマグロを釣っているとのことだが、カツオも混じって釣れ、みやげに大きなカツオをもらった。早速、晩のおかずに食べたが、いや〜実に美味かった。裕丸、後馳走様でした。
彼は今晩、港泊まり、凪次第漁を数日続けるとのこと。大漁と航海安全をお祈りします。
4月29日
知り合いの三宅島漁師、裕丸が漁の途中、天候不良で八丈島に入港した。久しぶりの再開だったが、元気そうでなにより。彼は三宅島噴火後、伊豆の下田へ家族で避難、天候をみながら、三宅、八丈、鳥島方面へ数日間一人乗りの漁船で底釣りや引き縄で漁をし、下田港や沼津港へ魚を下ろす。農業も大変だが、漁業もなかなか大変な仕事だと思う。
4月23日
今回初めて、LAユリを作ってみた。LAユリというのはスカシユリとテッポウユリの交配種で最近出回り始めた新しい品種群。赤、黄、橙、桃色系など約10品種ほど植えてみたが、黄色系の「ロイヤルトリニティ」が咲いた。スカシユリ同様香りはないが、スカシユリより大輪でなかなか良いユリだ。
4月18日
サンダーソニアも出荷最盛期。面積が少ないので大したことはないが、今後どの程度量を増やすかは、球根養成、労働力、施設などを考えて決めるが、まだ暫くは球根作りと栽培経験蓄積に時間が必要だろう。
4月11日
お隣のYさんのフリージアも満開。これから花を一つづつチェックして、ウイルス株を抜いていくそうだ。かなり根気のいる作業。その後で花を全て刈取り、球根を肥らせる。
4月10日
初体験のサンダーソニアの出荷が始まった。蕾は10ヶ以上付いているが、下の3〜4輪が色付いた頃に採花する。不出芽の球根があったのと、生育初期の水遣りが足らず、草丈が少々短くなってしまったということはあるが、まあ品質的には問題ない出来かなと、一安心。しかし、たまたま問題なかったと言って気を抜いてはいけない。なにせ一年生、勉強はこれからだ。
4月5日
この春、服飾系の専門学校を卒業した長男が、手伝いを兼ねて八丈にきた。就職はまだ決まっていない。まあ3年間、学校に、アルバイトにと結構忙しくやっていたようなので、暫くは手伝いをしながら、ゆっくり将来のことでも考えればいいだろう。本人は服作りを目指しているらしい。経済的にはどうなるかわからないが、自分の手でものを作る仕事って良いと思う。
4月3日
私のハウスの隣にある、Yさんのフリージア畑に花が咲き出した。後一週間もすれば、色とりどりのお花畑になるだろう。この畑は切り花用ではなく、球根生産用だ。昔、八丈島は日本一のフリージア球根産地だったが、今は鹿児島の離島に産地が移り、八丈島でフリージアの球根生産をしているのは、Yさんを含め、数人程度ではないだろうか。
4月1日
補助事業で「農産物共同直売所」が完成。施設は町が管理するが、実質運営は農家9名による「農産物直売所運営準備部会」で、今日がオープン初日。私も当部会メンバーの一員に加えてもらった。いくら売れるのか、採算に合うのか、やってみなければ判らないが、できる限りの協力はしよう。
準備期間が短かったこともあり、参加農家が少ないのがちょっと気懸かりだが、追々増えるかな?