2005年12月

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<訃報>:11月21日、妻の弟(三谷彰君)が他界ました。
彰君夫婦は都内の私立高校の教師をしていましたが、三宅島へ移住後は三宅島社会福祉協議会でケアマネージャーとして精力的に仕事していました。三宅島噴火災害の発生時・島外避難・避難先でのお年寄りへのケアー等仕事上の過労とストレス、それと本人の生真面目な性格もあったのでしょう、鬱状態がひどくなり入退院、療養、そして退職。2004年夏からは1年ほど八丈島の福祉施設にお世話になりながら療養していました。その後は実家で療養していましたが
2005年11月、46年の自らの生涯を閉じてしまいました。残念です。時間をかけて治療・療養を続ければ回復の道もあったと思います。近くにいながら私自身仕事に追われ彼に対して十分な気配りが出来なかったことも悔やまれます。棺のなかの彼の顔が病気の時の辛い表情から安らかな表情になっていたこと、葬儀にさいして教師時代の多くの関係者の方々、社会福祉協議会勤務時の多くの関係者の方々、そして多くの彼の友人知人に見送って頂けたことはせめてもの救いでした。私達婦婦にとっては、三宅島噴火災害で無くしたもののなかで、一番大きなものになってしまいました。



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12月25日(八丈島)
クリスマス用注文は何とか完了。お正月用ユリの発送がやっと本格的に始まった。しかし年内到着の注文がまだ多数残っており、出し切れるか予断を許さない状況ではあるが、何とかしなければいけない(八丈産の他の花を加えて内容調整をするか?)。
12月18日(八丈島)
オリエンタルピンク系ユリがやっと切れ始め、東京の娘も出荷の応援に来てくれた。クリスマス用出荷まであと4日、晴天がこのまま続いてくれれば間に合いそうだが、曇りになれば難しい、、、毎度の事ながら、はらはらどきどき。
12月15日(三宅島)
進行中の農地復旧事業。竹薮になっていた農地も噴火前の状態に近づいてきた。しかし農家が使えるようになるのは、今月末か年明けで、当初予定の11月までに農地復旧完了し秋の植え付けが、春の植え付けに延びてしまった。
12月12日(八丈島)
今回は諸事情で暖房開始が遅れ、お歳暮・お正月用ユリに間に合うか?この時期に蕾はまだかなり小さい。
好ましいことではないが、最低温度25度最高温度35度という設定温度で加温することにした。これで年末に間に合わなければしかたない。とにかくやるだけやってみよう。